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小太郎漢方協力会だより 1998年秋号

理論と経験は車の両輪

人生の転換点となった漢方との出会い

小島先生の御尊父が分家、独立して調剤を中心に始められたのが現在の店舗。生まれたときから薬に囲まれた環境に「有形無形のうちに洗脳され」自然に薬剤師の道を選択されたという。東京薬科大学に入学されるが、この時点ではまだ漢方にまったく興味かなかった。 平成2年に卒業され、東京で製薬メーカーに入社、MRを担当される。2年半が過ぎた頃、御尊父の経営されていた店舗近くに沼津市でも有数の診療所が分業し、処方箋が一挙に増えたために人手が足りなくなり、急遽メーカーを退社、帰郷されることになった。 西洋医学の治療に疑問を感じていたころ、縁あって某メーカーが主催する中医学研修塾を知り、大きな期待はなかったがとにかく勉強してみようと思い、中医学を学び始める。そして中医学の、西洋医学とは異なった角度からのアプローチに新鮮な印象を抱く。 「奥が深く、しかも理路整然としている」。これは価値が高そうだと、学ぶごとに興味が増し、正統派の中医学の方向性がつけられ、1年経って卒業する頃にはそれは、ライフワークとしてしっかりと刻み込まれていた。
沼津に戻って店頭に立ちながら、医学、薬学の分野で漢方が安易に扱われている現状に疑問を感じていたときに、北京中医薬大学日本分校の存在を知る。

難関の中医師資格才能と努力で取得

先生を衝き動かせた動機は他にもあった。治療効果を高めるために学術レベルを上げること、薬剤師の地位向上、そして中国の現場を知りたかったこと。 中医師の資格を取得するには、国際中医師能力認定試験に合格する必要がある。受験資格は薬剤師の場合、留学経験があるか、一定のカリキュラムをクリアしていること。 このカリキュラムは北京中医薬大学でしか認められていなかった。
3年間、月2回、週末土曜日に東京で宿泊しながら通うことは楽ではなかったが、中医学の理論をマスターし、試験に合格するという目標が、強靱な精神力となって支えになった。同試験は今年で3回目。 持ち前の能力と努力が、これまでに80人が受験して合格者わずか19人という難関を突破させた。この間、店頭で漢方相談を行い、店舗を改装した平成7年からは月に1回、中医師を招いて相談会を開催するなど理論と実践を平行させてきた。 「漢方は臨床から生まれた医学ですから、臨床は重要ですが、それは理論の裏付けがあって発展していくものです。学問と経験、2つのバランスが中医学を成り立たせています」
現在店舗は、御尊父と経営されている本店と3支店、令弟が経営される4支店の計8店舗。本店は漢方相談と調剤を、他の7店は調剤が中心である。先生は、今後の店舗展開について次のように語られた。「調剤と漢方、2つの方向でやっていくのは本店の現在のスペースでは限界があると感じています。将来的には、漢方を独立させるか、あるいは広い敷地に移転してはっきりと区分けするかなど、構想はあるんですか、現状では明確になっていません。総合的に判断して見極めていきたいと思っています」調剤をはじめて1、2年後、店舗は従来の相談客が激減していた。中心となって運営されていた御尊父かその間、薬剤師会の副会長から会長になられてその役務に忙殺され、またスタッフは調剤に追われて相談が手薄になっていたからである。先生が戻られて数年間、相談客を取り戻すための努力が重ねられた結果、以前にも増して、相談薬局としての信頼を回復することができたのである。「お客さんから悩みを受けて、中医学の考え方に従って出した薬が効果を発揮することが何よりうれしい」といわれるのは、先生にとって仕事が生き甲斐になっていることの証だろう。